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2012年10月24日 13時16分22秒 更新

条例づくりの根にあるもの―県北「火曜会」に参加して

 昨日(10月23日)、宇佐市のありくの里で開かれた大分県条例をつくる会の県北班火曜会に参加しました。
 集まったのは約20人。車イスの方が4人いました。

 県条例前文案をめぐって意見が続出。県条例をつくる会共同代表の一人徳田さんは「すばらしい案になったと思っていたが、まだまだだった」と、出された意見の重要性を受けとめていました。

 「(障がいがある人は)『自分で育てられない子を産んだらいけない』と普通に親になることも許されない」という部分に対しては、「『普通』とは何なのか?」

 「『障がいを理解してくれることで救われた』という地域の人たちの理解と共感に感謝する声もあり」については、「障がいを理解できるのか?」、「理解することで救われるのか?」

 「地域の人に支えられながら」については、「障がいがある人は支えられる存在なのか?」

 また、「前文の主語は誰なのか?」、「誰が誰に対して言うのか?」、「障がい者の立場ばかり書くと、障がいがない人たちから自分たちには関係ないと思われないか?」、「家族と障がいがある本人はどちらが先に置かれるのか?」などの声もありました。

 「うーん」と考え込む、本質的な問いかけだったと思います。その問いかけを受けて、「ではどうすればいいのか?」が具体的に話し合われました。出された方向は、

1,障がいがある人の声を家族の声の前に
2,「普通に」は「あたりまえに」
3,「障がいを理解」は「障がいがあることの生きづらさを理解」
4,「地域の人に支えられながら」は「地域の人の協力を得ながら」

 さらに、参加者一人ひとりの思いを語り合いました。

 前回、「私がこんなところに来て発言していいんだろうかと思った」と話した車イスで生活する中原さんが、その言葉の意味を話しました。

 「私は施設で暮らしてきた。施設のなかでは、全部が『ありがとうございます』『お願いします』『すみません』『ごめんなさい』だった。施設の世界はそれしかない。だから、私の言葉が皆に伝わるのかな、これを言ったら否定されるのではないかと感じ、自分のなかで『これを言ったらダメやな』と思ってきた。施設のなかではどこで折り合うかが先で、自分の気持ちは一番最後だった。だからネットワーク(宇佐市障がい者自立支援協議会のともに生きるネット)に出て話したことで自分の世界が広がった。ただ、これを話していいのかなという気持は今でもある。『ありがとうございます』が染みついている。まだ半分しか自分の気持ちは出ていない。それでも半分出るようになったことで、だいぶん楽になったと思う」

 知的障がいの子どもの母親である白岩さん。

 「私は価値観を変えていこうと思った。『すみません』とは意地でも言わない。誰よりもかわいいこの子を生んだんだから。お母さんたちは『すみません。すみません』と言う。でもケニアではお母さんたちは『すみません』と言わない。子どもは迷惑をかけながら生きていくものだという事があたりまえになっているから」

 また、ある小学校の先生は、「この場に来ることで、自分の価値の見直しをつきつけられる。そのことで、子どもたちへの対応が変わってきている。発達障がいと思われる子どもへの対応ができないのは自分が未熟だからと考えるようになった」と話すなど、目を開かれるような発言が続きました。

 徳田共同代表は、「今、前文づくりに全力投球している。前文は人間宣言、解放宣言になると感じている。『こう生きたい」という宣言だ。これから条例案にはいろんな声が出され、変更を迫られることもあるかも知れないが、前文に込めたものは譲ることができない。今日またいいものになったと思う。いろんな方といろんなお話をしながら条例をつくっていくことで、自分が本来の場に戻ることができると感じている」と話しました。

 「世界は広い」と言いますが、広い世界は実は私たちの身近にあるようです。「世界は広くて深い。その世界は今ここにある。そして条例づくりはその世界の根っ子を問うもの」と実感した集まりでした。
 

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2012年10月24日 13時16分22秒 in 県条例づくり
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